昨日のブログでもお知らせした通りこの秋から新たに「BIG JOHN」との取引がスタートすることになりました。
それに対するSNSでのコメントが「おめでとうございます」だったり「すごいですね」といったものだったことに少々とまどってしまいました。
確かに「BIG JOHN」と言えば日本のジーンズの歴史を語る上で はずすことはできないブランドです。
その老舗中の老舗ブランドが零細個人事業主のDenimmanと取引してもらえることは「すごいこと」に違いはありません。
ではこのちょっとした違和感はなんなのか・・・
そもそもなぜこのタイミングだったのか・・・
BIG JOHNの歴史と現状を紐解きながら解明してみたいと思います。
**************************
BIG JOHNの歴史は日本のジーンズの歴史と言っても差し支えないでしょう。
1963年に大石貿易がアメリカの「キャントンミルズ社」からデニム生地を輸入し「CANTON(キャントン)」ジーンズの生産を開始。
日本初の国産ジーンズが誕生しました。
その時に縫製を請け負ったのが「マルオ被服」で「BIG JOHN」の前身の会社です。
「CANTON」はかなりのヒット商品となりましたが、米キャントンミルズ社がネーミング使用権の請求を行い、すったもんだ揉めた末1968年に販売終了となりました。
その間マルオ被服は1967年に独自ブランド「BIG JOHN」を立ち上げ販売をスタートします。
日本発のそして初のジーンズブランドがスタートを切ることになりました。
ブランド名のビッグジョンは創業者尾崎小太郎の名前に由来します。
「小太郎」をもじり「リトルジョン」(太郎は日本のポピュラーな名前に対しアメリカでポピュラーな名前"ジョン"という理由)としたが、「リトル」では大きな商売はできないと判断。転じて「ビッグ」、そこからビッグジョンの名が冠されることになった。 〜wikipediaより
その後は順風満帆。
1969年 ロッカー御用達ROADRUNNER(ロードランナー)デビュー
1975年 日本最古のワークブランド「WORLD WORKERS」発表
1976年 売上高100億円を達成
1984年 キッズブランド「U-BOAT」発表
1987年 レディースブランド「BRAPPERS」発表
1989年 マルオ被服から株式会社BIG JOHNに社名変更
時はバブル真っ只中。
ジーンズブームも相まって私が働いていたショップでもかなり売れていた印象でした。
しかし、2000年代に入りバブルも弾け、低価格なジーンズが市場を席巻しジーンズ業界にも暗雲が立ち込め出したころビッグジョンにとって大きな転機が訪れます。
2002年 米Williamson-DickieManufacturingCo.と「Dickies(ディッキーズ)」ブランドの
サブライセンシー契約を締結。
一見するととてもうまくいっているライセンス生産でしたが、店頭のビッグジョンジーンズのシェアはディッキーズのチノパンにとって変わり、当然ビッグジョン内での販売シェアもディッキーズが多くを占めるようになりました。
日本でのディッキーズの販売がうまくいくほど本国アメリカでは「なら現地法人作った方がいいんじゃね?」という動きになります。
ライセンスビジネスあるあるです。
2012年 米Dickes社はBIG JOHNとのライセンス契約を終了しDekiesJapanを設立。
当然BIG JOHNの経営状態は悪化。
2012年 ファンドと主力銀行の支援を受け、創業家の尾崎家は経営から手を引くことになります。
その後は中国の自社工場の閉鎖など経営を縮小効率化、国産でクオリティーにこだわったジーンズ作りに舵を切っていきます。
そして2017年、ファンドの支援が終了。
岡山倉敷児島の地元企業による持ち株会社へ移行し、直営店舗児島本店がオープンします。
2018年 直営店舗 東京店、大阪店の2店舗オープン
2020年 創業80周年を迎えました。
山あり谷あり
これが大まかな、そしてWIKIにも載っていないBIG JOHNの歴史です。
80年代後半から2010年代までジーンズシップにいた私にとってビッグジョンは「物づくりはめっちゃしっかりしてるけどブランディングやプロモーションはあまりうまくない会社だな〜・・・」って印象。
それは今も変わらないかもしれませんがww
むしろ今の岡山倉敷児島に腰を据え、地元企業を株主にしっかりした物づくりをするBIG JOHNの姿はDenimmanにピッタリなのかもしれません。
90年代のビッグジョンのままだったら「すごいですね」「おめでとう」がしっくりきたかもしれませんが、そんな会社だったら取引をスタートすることはなかったでしょう。
というのが冒頭の「少々のとまどい」の原因なのだと思います。
これから取引が始まるブランドのことを皆さんにもちゃんと知ってほしい。
そんな思いでダラダラ書いてしまいましたww
BIG JOHNもDenimmanも
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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きっとそのうちまたピタッと更新が止まります。
そんな気分屋なBlogですww
それに対するSNSでのコメントが「おめでとうございます」だったり「すごいですね」といったものだったことに少々とまどってしまいました。
確かに「BIG JOHN」と言えば日本のジーンズの歴史を語る上で はずすことはできないブランドです。
その老舗中の老舗ブランドが零細個人事業主のDenimmanと取引してもらえることは「すごいこと」に違いはありません。
ではこのちょっとした違和感はなんなのか・・・
そもそもなぜこのタイミングだったのか・・・
BIG JOHNの歴史と現状を紐解きながら解明してみたいと思います。
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BIG JOHNの歴史は日本のジーンズの歴史と言っても差し支えないでしょう。
1963年に大石貿易がアメリカの「キャントンミルズ社」からデニム生地を輸入し「CANTON(キャントン)」ジーンズの生産を開始。
日本初の国産ジーンズが誕生しました。
その時に縫製を請け負ったのが「マルオ被服」で「BIG JOHN」の前身の会社です。
「CANTON」はかなりのヒット商品となりましたが、米キャントンミルズ社がネーミング使用権の請求を行い、すったもんだ揉めた末1968年に販売終了となりました。
その間マルオ被服は1967年に独自ブランド「BIG JOHN」を立ち上げ販売をスタートします。
日本発のそして初のジーンズブランドがスタートを切ることになりました。
ブランド名のビッグジョンは創業者尾崎小太郎の名前に由来します。
「小太郎」をもじり「リトルジョン」(太郎は日本のポピュラーな名前に対しアメリカでポピュラーな名前"ジョン"という理由)としたが、「リトル」では大きな商売はできないと判断。転じて「ビッグ」、そこからビッグジョンの名が冠されることになった。 〜wikipediaより
その後は順風満帆。
1969年 ロッカー御用達ROADRUNNER(ロードランナー)デビュー
1975年 日本最古のワークブランド「WORLD WORKERS」発表
1976年 売上高100億円を達成
1984年 キッズブランド「U-BOAT」発表
1987年 レディースブランド「BRAPPERS」発表
1989年 マルオ被服から株式会社BIG JOHNに社名変更
時はバブル真っ只中。
ジーンズブームも相まって私が働いていたショップでもかなり売れていた印象でした。
しかし、2000年代に入りバブルも弾け、低価格なジーンズが市場を席巻しジーンズ業界にも暗雲が立ち込め出したころビッグジョンにとって大きな転機が訪れます。
2002年 米Williamson-DickieManufacturingCo.と「Dickies(ディッキーズ)」ブランドの
サブライセンシー契約を締結。
一見するととてもうまくいっているライセンス生産でしたが、店頭のビッグジョンジーンズのシェアはディッキーズのチノパンにとって変わり、当然ビッグジョン内での販売シェアもディッキーズが多くを占めるようになりました。
日本でのディッキーズの販売がうまくいくほど本国アメリカでは「なら現地法人作った方がいいんじゃね?」という動きになります。
ライセンスビジネスあるあるです。
2012年 米Dickes社はBIG JOHNとのライセンス契約を終了しDekiesJapanを設立。
当然BIG JOHNの経営状態は悪化。
2012年 ファンドと主力銀行の支援を受け、創業家の尾崎家は経営から手を引くことになります。
その後は中国の自社工場の閉鎖など経営を縮小効率化、国産でクオリティーにこだわったジーンズ作りに舵を切っていきます。
そして2017年、ファンドの支援が終了。
岡山倉敷児島の地元企業による持ち株会社へ移行し、直営店舗児島本店がオープンします。
2018年 直営店舗 東京店、大阪店の2店舗オープン
2020年 創業80周年を迎えました。
山あり谷あり
これが大まかな、そしてWIKIにも載っていないBIG JOHNの歴史です。
80年代後半から2010年代までジーンズシップにいた私にとってビッグジョンは「物づくりはめっちゃしっかりしてるけどブランディングやプロモーションはあまりうまくない会社だな〜・・・」って印象。
それは今も変わらないかもしれませんがww
むしろ今の岡山倉敷児島に腰を据え、地元企業を株主にしっかりした物づくりをするBIG JOHNの姿はDenimmanにピッタリなのかもしれません。
90年代のビッグジョンのままだったら「すごいですね」「おめでとう」がしっくりきたかもしれませんが、そんな会社だったら取引をスタートすることはなかったでしょう。
というのが冒頭の「少々のとまどい」の原因なのだと思います。
これから取引が始まるブランドのことを皆さんにもちゃんと知ってほしい。
そんな思いでダラダラ書いてしまいましたww
BIG JOHNもDenimmanも
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
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きっとそのうちまたピタッと更新が止まります。
そんな気分屋なBlogですww
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